桜並木の公園を、一人の少女が歩いている。
着ている制服からして中学生のようだ。
茶色い髪を首元で切り揃えた少女、八神はやては風にそよぐ満開の桜を見上げて柔らかに微笑んでいる。
いつもなら家族や友人たちがいるのだが、今日だけは特別なのである。
いままでの『今日』を思い出し、一人クスクスと笑いだした。
「せやけど、時雨くんは私になんの用なんかな?」
ふと、いま自分がここを歩く理由を思い浮かべる。
中学に進学して初めて共学になり、男友達ができた。
その中で一番仲がいいと言い切れるのは『不思議な』という前置詞を付ける少年。
同じ『図書読書部』という『本を読むこと』を目的にした部活の部員。
その中で人が少ないため自分と同じ一年生にして部長を兼任している人物。
時雨宵鶴(しぐれ よつる)という少年が当人の名前だ。
「“決心がついたらしい、ここに来てくれ”なぁ?」
そんなことを言われて、あっさり頷いた自分も酔狂だと思いながら、はやては止まっていた足を動かして歩きだす。
あの時、自分の中に不思議な焦燥が生まれ、それに急かされるように頷いていたのを思い出したからだ。
この桜並木を歩いているとその“焦燥”が大きくなっていく。
その一方で得体の知れない“期待”も膨らんでいく。
はやての視界が開けて少年が一人、ベンチで寝ているのを見つけた。
呆れたようにしてはやてが少年、時雨宵鶴を揺すり起こす。
「起きぃ、人を呼んどいてなに寝とるんや」
数度ほどはやてが揺すり、宵鶴が目を覚ました。
数度、瞬きして宵鶴は呟く。
「白……………ごふっ」
数瞬呆けたはやてが無言で、問答無用の拳を水月に突き落とす。
若干はやての頬に朱が差した。
「そ、それはともかくや、私になんの用やの?」
「よ、用があるのは、俺じゃない……………ち、ちょっとまて」
どうやらはやての思惑以上の綺麗さで、はやての拳が水月に入ったらしい。
二十分ほどうずくまり、宵鶴は少しふらつきながら立ち上がった。
「暫く前に行き倒れな所を助けて、世話してたやつなんだがな。
隠れてないで出てこい、会う覚悟とやらはできたんだろう?」
宵鶴の言葉を聞きながら、どんな人なのかと楽しみで仕方ないはやて。
ただし、その心に生まれていた“焦燥”と“期待”が更に肥大化しているのん感じている。
「少し待てな、いま引きずり出すから」
そういった宵鶴は、はやてがまったをかける前に動き出す。
「〈Siebenerlei schwestern Tugend "Weisheit", Bewegen〉さっさと出てこい、風」
その瞬間、はやての意識が一瞬だけ真っ白に塗り替えられた。
意識が戻ってすぐ有り得ないと否定し、宵鶴が目の前に立たせた女性を見てまた真っ白に飛ぶ。
紛れるはずのない銀の長髪、雪の降る日に空へと消え別れた筈の祝福の風が、そこにいた。
はやてにとって、目の前で宵鶴とじゃれあう様に押し問答を続けるリインフォースは、眩しく、綺麗に映っている。
心が求めるように、ただ“触れたい”という意思のままに、手を伸ばした。
「ッ?!」
はやての手が触れた瞬間、リインフォースの体が僅かに震える。
そんなことなど気にしないというように、はやてはリインフォースを確かめるようにあちらこちらを触っていく。
一通り触り終わったころ、はやてが震えながらリインフォースに抱きついた。
「リイン………や………」
その姿を見た瞬間から押さえ込まれていた感情の爆発、“歓喜”を伴う“慟哭”の発露。
自分に抱きついて泣き出したはやてを、おずおずと抱き返し宥めるリインフォース。
傍目から見ている宵鶴にとって、その光景は美しく、さながら、
「“泣き出した娘をあやす母親”、か?」
オプションは桜吹雪、実に縁なる演出と言えよう。
暫く泣き続けたはやてが、未だに目尻に涙を残しつつ顔を上げる。
「で、なんでリインがここにおるんや?」
「あのあと、気付けばある部屋のベッドの上でした」
はやての疑問に、困ったような顔でリインフォースが話始めた。
目を覚ますと見慣れない天井が見え、起きようにも体が動かない。
仕方なく首を動かすと、イスに座り静かに本を読む少年がいた。
声をかけようとしても声すら出ない、どうするかと思っていると、不意に少年がその顔を上げる。
「ああ、起きたんだ」
簡素な言葉とともに、栞を挟んで本を棚へ戻す少年。
「声は出る? さっきの様子だと出ないみたいだけど」
首肯すると、少し考えて少年は切り出した。
「質問するから違うなら横に一回、合っているなら縦に、わからないなら二回、首を振ってくれる?」
縦に首を振る、つまるは首肯。
「家の前に倒れてたんだけど、心当たりは?」
横に二回、自分でも理解できていないのだから。
「名前はある?」
横に一回、既に“リインフォース”の名前は後継に譲ったのだから、今の自分は名前すらない。
「行く宛は?」
再度横に一回、一度死んだ身であるのだ、どうして戻れよう。
「いまはこのぐらい判ればいいかな? 話せるようになったら他にも聞くけど、いい?」
縦に振る、私も聞きたいことが有るために。
「暫くそこで寝てるといい。行く宛がないなら、宛が出来るまでいてもいいよ」
その言葉に甘えるように、私の意識は落ちていく。
最後に少年が何かを言っているが、聞こえなかった。
「おやすみ、主なき女性」
それから暫くは体を動かし、声を出すために何とか頑張った。
特に体は頑張った。動かないからといって、少年に全身を拭かれるのは流石に恥ずかしい。
一週間で日常生活が出来る程度になり、お風呂に一人で入れたときは感動した。
声の方は一ヶ月かかったが、まともに喋れるようになった。
その後に少年の名前を聞き、自分の名前も考える。
結局、主に頂いた名前を捨てきれず『夜天 幸風』(やてん こうか)と決めたのだ。
互いに一字をとって『鶴』と『風』で呼び合うことが多いのだ現状でもある。
その後は主の家に戻る訳にもいかず、戸籍を貰ってアルバイトをしながら鶴の家に居候中。
そして、鶴の話で主が出てきたため、会いたいと思うも決心がつかず、漸く今に至る。
楽しそうに話す幸風をみて不機嫌になる自分に内心首を捻りながら、それでも嬉しさが込み上げてくる。
「実際には、今日が主の誕生日なので会わせるから覚悟しとけ、と鶴に言われたのですが」
そういって苦笑する幸風を見て、はやては宵鶴に向き直り右手を上げた。
「グッジョブ!」
宵鶴はそれに対し、右手を胸元に添えながら頭を下げて一言。
「光栄の至り」
そしてさらに幸風の背を押すように言葉を続ける。
「風のバイト先には休みの連絡を入れてある。連れ回してくれて構わないぞ、八神」
「ナイスや時雨!」
「なっ?! 勝手なことをするな鶴!」
「店長さんとは馴染みでな? 大事な人の誕生日で、デートするから休みを頼む。 そう言ったらくれた」
「店長ー?!」
どたばたしたがなし崩し的に休みで決まったらしい、はやてが実に上機嫌で幸風の腕に抱きついた。
このあとは、友人一同と家族が一緒に翠屋で誕生日パーティーを開いてくれる予定なのだ。
その場に連れて行けば、知っている全員が驚いてくれるだろう。
そんなことを考えながら、このプレゼント以上に嬉しいプレゼントはない。
そう考えている自分に気づくはやてだった。
ついでに、今度から自分も“鶴”と呼んでやろうと誓ってもいた。
「HappyBirthday、八神」
友人たちや家族より一足速いその言葉に、また涙が頬を伝うのを感じたはやてだった。